第10回 ブログ版 郷土史講座「満濃池シリーズ9」

まだ暑さは残りますが、夜などは窓から入る風もひんやりとし、薄い夏ぶとんでは肌寒く感じるようになりましたね。

これから秋が深まるにつれ、食欲、芸術、読書と、新たな楽しみも増えてきますね。

さて、ブログ版の郷土史講座も10回目を迎えます。

満濃池について、さらに掘り下げて探求していきますよ。

講師はお馴染み、片岡孝暢さんです。

 

第10回ブログ版 「郷土史講座」 ~満濃池シリ-ズ9~

<満濃池の住所や地名からひもとく謎!>

今回は、満濃池の名前や地名の視点から、今一度歴史を振り返ってみました。そこで、二人が満濃池の住所や名前をひもとき、そこに住む人々の歴史や意味を考察しました。

 

花子さん:満濃池の住所は、どうなっているの?

太郎くん:現在は、池の大部分が「香川県仲多度郡まんのう町神野(かんの)」、そして池の一部分(南東部の五毛地区と南西部の森林公園側の池端と森)は、それぞれ同町の吉野(よしの)地区と七箇(しちか)地区になるよ。また、古代は「讃岐国那珂郡神野郷」だよ。

花子さん:きっと、「神野」という地名や「まんのう」という町名と満濃池の名前が関係していると思うわ。

太郎くん:そうだね。でもその前に、香川県から少し行政単位の変遷を見てみよう。香川県という言い方になったのは、いつ頃か知っている?

花子さん:もちろんよ。明治になってだと思うわ。それまでは、讃岐国と言っており、明治4年(1871)、廃藩置県があって香川県になったと思うわ。

太郎くん:そうだよね。その讃岐という国名は、『古事記』や『日本書紀』に登場している。大化の改新の詔によって、国・郡の制ができ、大宝律令によって、讃岐国には11郡ができたとなっているよ。(『延喜式』)讃岐国は初め国司が治めており、最初の国司が大宝年間、満濃池の築造のとき出てくる道足朝臣(みちもりあそん)だね:「萬濃池後碑文」)。

花子さん:すると、11郡のなかに、那珂郡があったのね。

太郎くん:そうだよ。そのときの地図①「古代讃岐郡郷図」だよ。

太郎くん:そして、明治32年(1899)7月1日郡制が実施され、那珂郡と多度郡が合併し、仲多度郡となったようだ。

 

地図①  古代讃岐郡郷図(木原薄幸・丹羽佑一・田中健二・和田仁『香川県の歴史』県史37山川出版から引用)

 

太郎くん :まんのう町は、平成18年(2006)3月20日、旧3町の満濃町、仲南(ちゅうなん)町、琴南(ことなみ)町が合併してでき、今年で15年目になるね。

花子さん:満濃池は旧満濃町(一部旧仲南町)にあるから、旧満濃町の行政単位の歴史はどうなっていたのかしら?

太郎くん:明治23年(1890)、真野(まの)村、岸上村、東七箇村、五條村が合併し「神野村」となった。そして、昭和30年(1955)4月、四條村、吉野村、神野村が合併し満濃町となり、同年7月高篠村が、翌年長炭村が加わって満濃町になったみたいだね。この時、町名の満濃が満濃池に由来していたのだと思うよ。

花子さん:真野村や吉野村は、前記の地図①中の真野郷や吉野郷と言い方が同じね。

太郎くん:そうだね。古代のそれぞれの郷の遺称地だよ。そこで、満濃池は真野郷に属していたので、真野池と呼ばれていたようだ。

 

花子さん:すると、満濃池のあたりの地域はどう呼ばれていたの?

太郎くん:先に出てきた東七箇村というのは、満濃池周辺の山地、池尻・三田・岡・葦谷・神野山と池南部の五毛神社跡地あたりのことだよ。いわゆる、池所と堤防下の池下、満濃池から南の五毛に続く池尻、そして西に続く三田の池の水掛かりの端である池尻一帯のことを指すのだと思うよ。そこで、このあたりの地域を示したのが地図②だよ。

地図② (国土地理院の地形図「善通寺」「福良見」「滝宮」「内田」1:25,000に加筆し、掲載。尚、満濃池内の南東端の点線は第三次嵩上げ工事前の池端を示す)

 

花子さん:なるほどね。でも現在の地名として残っている池尻は、池下の西側あたりになっているわね。今、池尻で人が住んでいるのはこのあたりだけだからかしら?

太郎くん:そうかもしれないね。ただ、神野山の神櫛(かんくし)神社跡がある所も「大字神野字池尻」となっているよ。池下の古老の話によると、池地や池の端の池尻で住んでいた人々が、今の池尻地域へ移り住んで、池尻と名付けたようだね。(西嶋八兵衛の満濃池再築の時)もちろん、ここ以外にも、他の地域や現在の五毛地区へ移り住んだ人もいるらしいよ。

花子さん:そしたら、真野郷から真野村と満濃池及びその周辺が分かれたのはいつ頃?

太郎くん:平安後期の元暦元年(1184)、満濃池が決壊した後は放置され荒廃しており、鎌倉、室町、戦国時代を経て、寛永年間の西嶋八兵衛による池の再築まで、「池内村」と呼ばれるようになっていたようだ。

太郎くん:そして、寛永19年(1642)、満濃池地は「幕府領七箇村」となったようだ。これが、前述の東七箇村(現在の仲南地区の七箇より東にあるので、明治8年池所の七箇村が東七箇村になる。)のことだよ。我が家の曽祖母の戸籍謄本をみてみると、明治25年の場合、仲多度郡神野村大字東七箇となっていたよ。ただし、池下(池の外)には「桶外村(ひのわき)」があったようだね。東七箇村のその後のことは前述のとおりだよ。

花子さん:そうすると、満濃町になったとき、東七箇村は「大字神野」という住所・地名になったのね。それが今でも、「神野」という地名・自治会名の呼び名になっているということね。

 

花子さん:それでは、最初に神野池、神野郷と名付けたのはだれなの?

太郎くん:今の定説だと、武国凝別命(景行天皇の皇子)の系統である御村別(みむらわけ)の子孫が、伊予から移り住み、この地を自分たちの住んでいた伊予の神野郡(新居浜・西条)に因んで神野郷と名付けたようだ。

花子さん:でも何を見ると、神野郡と呼んでいたことがわかるの?

太郎くん:それは、『続日本紀』『日本紀略』『日本後紀』に書かれているよ。『日本後紀』でのその箇所をあげると、「嵯峨天皇」の大同四年九月二日「乙巳、改ニ伊豫國神野郡一爲新居郡一以レ觸ニ上諱一也、」と記載されているよ。つまり、伊予国神野郡は嵯峨天皇の諱(いみな:神野、賀美能)に触れるため、新居郡と改めた、ということだ。だから、この地でも「神」(しむ)の字を同音の「真」(しむ)に改め、神野郷から真野郷になったと思うよ。そして、神野池も真野池に改めたのだろうね。

『仲多度郡史』によれば、神野社(神)は推古帝の御宇(在位:593年~628年)、営社而遷座され、郷名もこの神野神の社號より起これるとしており、「此の池は大宝年中国守道守朝臣の創築する所にして初め神野池(カミヌノ)と称す」とある。ただし今は、「カンノ」と呼んでいるけどね。(『日本後記』「桓武天皇・延暦十八年六月十五日の条」も参照)

花子さん:なるほどね。でも、矢原氏の先祖と云われる神櫛王(景行天皇の皇子)も「神」という名前なので、何か神野と関係があるような気もするわ?

太郎くん:うーん、そこは謎だね!ただ、満濃池の誕生秘話と関係しているのかもしねないね。

 

(尚、満濃池は平安時代や鎌倉時代、万農池、萬濃池、万乃池、万能ノ池、満農ノ池、万ノ池、万之池等と記されています。満濃池と書き、「まんのう」と呼ぶことが一般的になったのは、寛永年間(1624~1644)の再築以後からのようです。江戸時代は、讃岐国内で一番大きかったので、満濃太郎(次郎・神内池、三郎・三谷池)の愛称でよばれていたようです。そして、明治12年(1879)からは「満濃池」に統一されたということです。)

 

<満濃池の誕生秘話>

花子さん:先の満濃池誕生秘話ってどういうことなの?

太郎くん:満濃池を最初に作ったのはだれかということだけど、第3回と5回でも少し触れたけど、九十九谷の所に「天真名井」と呼ぶ湧泉(出水)が5カ所あり、その中の三田中谷にある湧泉は50町歩以上の水田を灌漑することができるほど豊富であるという。それを中心に作ったのが最初の池ではないかと思うよ。

花子さん:すると、それが大宝年間(701~704年)讃岐の国守道守朝臣が満濃池を築いたということかもしれないわね。

太郎くん:僕もそう思うよ。讃岐の国守がだれかはさておき、少なくともこの地域の有力な豪族が池の築造にかかわっていたのは確かだと思う。そうしないと実際には池は作れないからね。

花子さん:そしたら、大宝年間の頃、この神野地域あたりでの有力豪族だと考えられる御村別(伊予から移ってきた)の子孫なのか、もしくは矢原氏の先祖なのか、はっきりとした記録が残ってないけど、どちらかの一族ということね。また、両方が協力して築いたのかもしれないわね。

太郎くん:たぶん、御村別の子孫の身(むくろ)は、大化の改新(645年)の頃、那珂郡の郡家(今の丸亀市)へ主帳として移転していたと考えられるので、僕は矢原氏の先祖の益甲道麿(道麻呂)あたりが関わっていたのではないかと思うのだけど、あるいは太田亮氏(『姓氏家系大辞典』による)の言うように、御村別の分派により作られたかもしれないね。御村別の子孫のなかでも神野に居残った人達がいたかもしれないし、その時の池は現在の池地内の天真名井の湧泉あたりを中心に造られた小規模の池だったかもしれないね。

太郎くん:矢原氏の先祖は最初、現神野寺の西の池尻(写真①)附近に、旧矢原邸を建てたのではないだろうか。その北真上の神野山に「神櫛神社跡」があるよ。その後、池下「岩の本」の「矢原邸(の森)跡」(第4回を参照)と云われている所へ移ったのかもしれないね。

 

写真① 池尻の旧矢原邸跡と思われる所?(三田手前)本人撮影

写真② 池下の矢原邸の森 本人撮影

花子さん:その後、空海さんの再築までの間に、池の築造に関しては何か行われていないの?

太郎くん:天平宝字7年(763)讃岐は旱魃であり、この頃讃岐国の条理計画が完成したようだ。想像だけど、そこで矢原氏の祖先と云われる酒部黒麿が満濃池の築造(当時の讃岐国守:百濟(王)敬福に支援を依頼したか、逆に命令されたのではなかろうか)に一役を担ったのではないだろうか。神野神社由緒には、天平宝字8年(764)に勅命を受け、天真名井の下流に堤を築いて(この時の堤の位置は空海が再築したあたりだと思われる)天真名井の池と名付けたと伝えているようだ。確かに、『続日本紀』によると、天平宝字8年(764)9月1日、淳仁天皇は各地で洪水や早害が思いがけない時に起こっているのは、国司や郡司の民を使役する時期が適当でなく、堤・堰を修造しなかったための過失であるとし、賢い人物を速やかに登用し、人民を苦しめ煩わせてはないないとの勅命を下している。

また、天平宝字8年(764)に、淡海真人三船(おうみのまひとみふね)が造池使として、近江国に行って溜池を修造したという事例も『続日本紀』に出てくるからね。

花子さん:これらのことを簡単な絵図に表すと、さらによく分かるかもしれないわね。

太郎くん:それではさっそく、絵図を作ってみよう。(絵図①)

 

絵図① 嘉永年間の「濃池営築図」を参考に筆者が作成した想像図

 

花子さん:これだとよくわかるわ。あとは、年表にもできるといいわね。

太郎くん:でもこのことは、想像、推論の域を出ないから、萬濃池後碑文の記す大宝年間、神野神社記の記す天平宝宇8年の間には約60年間のずれがあるので、これをどう解釈するか今後の研究課題だと考えているよ。

 

 

満濃池シリーズも、回を重ねて9回。

知れば知るほど歴史の奥深さを堪能でき、たどり着いた答えの先には、さらに掘り下げるべき課題が出てきて…。

本当に、歴史ロマンに終わりはないですね。

片岡さん、ありがとうございました。

 

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展示の模様替え☆彡

夏休みも終わり、いよいよ新学期ですね。

気持ちの切り替えはうまくできてますか?

夏の間、町立図書館で開催中でした「図書館動物園」も無事に閉園し、館内の展示はガラリと装いを替えましたよ。

9月のテーマは「夜空・星空・宇宙空」です。

美しい星空や宇宙の神秘、星座にまつわる神話や、星や宇宙がテーマの物語などをご紹介しています。

 

館内中央では、天文写真展も開催中です。

月の満ち欠けが、神秘的な連続写真でお楽しみいただけます。

 

     

星のソムリエさんによる天体のおはなしと、お勧めの本を紹介した町立図書館オリジナル冊子『星空へぐっと近づこう』も、第2弾が完成しましたよ ♪

今回は木星のおはなしです。

第1弾の土星と併せて、惑星や宇宙の不思議を楽しんでください。

『星空へぐっと近づこう』は特設展示コーナーにありますので、ご自由にお持ちください。

 

季節の移り変わりを、本とともに📖

 

 

 

 

 

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図書館動物園 絶賛開園中‼

夏休みも残すところ1週間あまり。

宿題は間に合ったかな?

今年も旅行やお出かけが難しい夏休みでしたが、家族やお友だち、部活の仲間たちと “特別” な思い出を作ってくださいね。

さて、この夏町立図書館で展開中の「図書館動物」も、閉園まで残すところ1週間となりました。

 

「みんなの手づくり動物園」も、みなさんの手づくり作品でどんどん仲間が増えていますよ (^^♪

 

力作・傑作のオンパレードですよ‼

  

  

  

斬新なデザインのものや、芸術性の高いものなど、どの作品も素晴らしいですね。

ご参加くださったみなさん、図書館動物園に彩りを添えてくださり、ありがとうございます。

作品はまだまだ募集中です。ステキな動物たちがやってくるのを待っています。

 

かりまいちゃんのぬりえも、こんなにたくさん!

カラフルで、見ているだけでも楽しくなりますね。

ぬりえもクロスワードクイズも、8月30日㈪までやっていますので楽しんでください♪

 

いよいよ明日からは、東京パラリンピックが始まりますね。

オリンピックでは、香川県から金メダリストも誕生しましたよね。

オリンピック・パラリンピック応援イベントも開催中ですので、香川出身のパラ選手たちに、エールを贈りましょう‼

残り少ない夏の楽しみを、是非図書館で見つけてください。

 

 

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農業講座 個別相談会

トマトにキュウリ、ナス、ゴーヤ…。

夏は美味しい野菜がいっぱいですよね。

ベランダや庭の一画で、家庭菜園を楽しまれている方も多いことでしょう。

少しくらい形が悪くても、自分で育てた野菜は愛おしくって、格別に美味しい気がしますよね。

でも虫がついたり、天候に左右されたり…と家庭菜園には悩みや疑問も尽きないと思います。

そこでこの度、当館の「農業講座」で講師を務めてくださる豊嶋和人さんが、みなさんの疑問質問に答えてくれる「農業講座・個別相談会」を開催いたしました。

一対一でのお話はちょっと恥ずかしい…、という方も、豊嶋さんの柔和な口調と、分かりやすい説明に、ついつい前のめりになっていましたね (^^♪

色々と質問でき、皆さん喜んで帰られました。

 

 

豊嶋さんからのアドバイスを参考に、この夏も美味しい野菜や果物を作ってくださいね。

豊嶋さん、ご参加くださった皆さん、ありがとうございました。

 

 

 

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第9回 ブログ版 郷土史講座「満濃池シリーズ8」

立秋も過ぎ、暦の上では秋…。

ここ数日の長雨で暑さも少し和らいでいますが、このまま秋に突入とはいかないですよね (^_-)-☆

昨年に続き、旅行やお出かけがままならない夏休みですが、こんな時だからこそ、じっくりと郷土の歴史に触れてみるのもいいですね。

どうぞ歴史ロマンをたっぷりと味わってください。

講師はお馴染み、片岡孝暢さんです。

第9回 ブログ版「郷土史講座」 ~満濃池シリーズ8~

<なぜ、大規模な第三次嵩上げ工事が行われたのだろうか?>

その前にここで、第一次と第二次嵩上げ工事について、簡単に整理しておきます。

◇ 第一次嵩上げ工事 / 余水吐が堤西から堤東へ

工事期間:明治38年~明治39年 堤防を0.87m嵩上げし、堤高24.48m、総貯水量が660万2千トン、満水面積94.3haとなる。同時に余水吐の改修を行う。幕末に決壊した満濃池は明治3年(1870)に復旧されたが、度重なる旱魃や、新田開発による水田面積の増加、他の作物から水稲への作付け転換の増加等で、依然として、慢性的な水不足に悩まされ続けた。

◇ 第二次嵩上げ工事 / 満濃池が財田川の水もらっている!

工事期間:昭和2年~昭和5年 堤防を1.52m嵩上げし、堤高26m、総貯水量が780万トン、満水面積105.2haとなる。同時に、財田川からの承水隧道新設工事を実施(満濃池への取水については協議紛糾)する。尚、財田川からの承水については、寛政年間(1782~1801)当時高松藩郷普請方小頭役(ごうふしんかたこがしらやく)であった吉野の岩崎平蔵がその計画をしていたが、藩には採用されず、悲願は約130年目に実現したことになる。彼は、満濃池や亀越池の普請、土器川筋の井堰整備や水争いの解決などに尽力し、多大なる功績を残した人物である。

第一次嵩上げ後も、旱魃は大正時代も執拗に続き、貯水容量までもが減少した。これは貯水容量が増加しながらも、流域の山林荒廃による満濃池への土砂流入堆積が原因のようである。こうしたことから、再度嵩上げの要望が高まり、大正12年(1923)国の「用排水幹線改良事業補助要項」が出され、はずみをつけることとなった。

 

第8回 ブログ版「郷土史講座」

 

 

 

☆ それでは、主題についての二人の「対話・問答」を始めます。

花子さん:ところで、現在の堤はいつ頃できたの?以前、学習した西嶋八兵衛さんが作った堤と位置は違うの?

太郎くん:次の図①と現在の堤(写真⑥)を見比べてみると、よくわかると思うよ。

 

 

 

花子さん:なるほど、満濃池の水が引いたとき、平らな敷石が少し見えているけど、そのあたりが、八兵衛修築の堤体になるのね。すると、現在の堤は相当大規模な工事だったのね。

太郎くん:第三次嵩上げ工事(県営満濃池用水改良事業)と言って、昭和14年の大干旱魃を契機に、昭和15年(1940)から事業が始まり、昭和33年(1958)に工事が完了したようだね。だから、この時、神野神社は堤防西端にあったのだけど、どうしても移動せざるをえず、現在地に移転したようだね。

花子さん:ところで、これだけの土をどこから運んできたのかしら?

太郎くん:地元の方の話によると、遠くから運ぶのは大変なので、実は池の南西にある近くの山を削って運んだらしいよ。下の写真⑦を見ると、その跡だそうだ。山土を運ぶ時、最初はトロッコや「からはし」(土を入れた「かます」を棒でかついで)を使用していたけど、後にベルトコンベアを使用するようになったそうだ。そのルート(最短距離)は、神野山の所のミニ八十八カ所巡りの道を通って、御柱が建っている所(写真⑧)から池の方へ落としていたそうだよ。でも、ベルトコンベアを使ったけど、手押し車も使わないといけなかったから大変だったらしいよ。

 

 

 

 

太郎くん:また、この時は戦後だったので、仕事もなくこのあたりの地域の方がこの工事に携わったようだ。その時に歌っていた炭鉱節の替え歌(作業唄)の一番を紹介するね。(地元の古老の方がお母さんから教えてもらった唄の歌詞だそうです。)

「満濃よい池 宝(たから)池 サア ヨイ ヨイ 春は吉野の 山桜 秋は茸(たけ)狩り 紅葉狩り 来て見て喜ぶ 満濃池 サ ヨイ ヨイ」

花子さん:大変だったのね。学校の授業でも習ったけど、神戸のポ-トアイランドも近くの六甲山から山土をベルトコンベアで運んだのと同じね。当時としては、画期的なことだったようだわね。

花子さん:他にもいろんな苦労があったと思うけど?

太郎くん:第二次嵩上げの時もそうだけど、貯水容量が増加すると集水流域が不足し、降雨が少ない年には満水が困難となる。そこで、第二次嵩上げの時は、財田川流域からの取水を計画し、今回は、土器川より取水するための天川導水工事も県営事業として、同時に実施したようだ。もちろん、土器川の右岸側から反発があり、分水の公平化を図ったそうだ。戦争の激化とともに事業は一時中止されたけど、戦後再開され、堤防、取水塔も含め昭和33年度(1958)、事業は完成したそうだ。次の写真⑨が土器川からの取水口である天川導水だよ。

そして、この天川頭首工満濃池放水路並びに12幹線水路の改修工事の完成を記念して、満濃池の余水吐を見守るように建てられているのが「完成記念碑」(堤東側)だよ。(写真➉)

(満濃池が土器川の水をもらっている!)

 

 

 

花子さん:そして、これらの第三次嵩上げ工事のことを物語っているのが、堤の南西の所(神野寺登口の手前)に建っている「竣工記念碑」ということね。(写真⑪、⑫)

 

 

 

花子さん:でもなぜ、こんな大規模な工事をしてまでも、貯水量を増やす必要があったの?

太郎くん:昭和9年と昭和14年の渇水で、人々は水不足に苦労したようだね。当時の新聞記事①をみると、その時の状況がわかるよ。

 

太郎くん:大砲や太鼓などで大きな音を出し、空気に振動を与えることで、気圧に変化を起こし、雨を降らすという考え方のようだね。これほどまでしてでも、雨の恵みを求めていたのだね。

太郎くん:こうした干ばつが昭和14年にも起き、県知事さん自ら滝宮天満宮で雨乞祈願祭を行い、各学校の児童に対しても、日の出と日没前に、「土瓶水」(どびんみず)で稲一株一株に水を与えよと、指示したようだよ。(昭和14年9月8日付『香川新報』より)

これらの二度の大干ばつを通して、県下に農業用水に対する危機感を募らせた。満濃池掛かりでもこのままでは、再び干ばつを被ることは必然であり、貯水の増大を図る必要があると考えたようだね。そこで、協議を重ねた上、三度満濃池を嵩上げすることを決定したようだ。

花子さん:なるほど、よくわかったわ。農家の方々はもちろん行政の方も一生懸命がんばってくれたのね。そしたら、第三次嵩上げ工事の結果もどうなったのか、まとめてくれると有り難いわ。

太郎くん:わかったよ。次のようになると思うよ。

 

◇ 第三次嵩上げ工事

工事期間:昭和15年度~昭和33年度(途中戦争のため中断) 堤防を6m嵩上げし、堤高32m、貯水量1,540万㎥、満水面積138.5ha、満水位EL146m、堤体天端高EL149m、取水塔高30m、吸水管8ケ

(参考)池の南北の直径約2km、池の周囲約20km

 

 

たかが池、されど池…。

知れば知るほど奥が深いですね。

満濃池シリーズは、まだまだ続きます!

片岡さん、今回もありがとうございました。

 

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TEENSの森で待ってます‼

オリンピックも無事に閉幕し、夏休みも半分まで来ましたね。

昨年に引き続き、色々と不自由な夏休みになっているかもしれませんが、町立図書館では、「図書館動物園」やオリンピック・パラリンピックの応援イベントなどを開催中ですので、是非足を運んでください。

さてさて、今年の春から館内の「ティーンズの森」コーナーがリニューアルしたのをご存じでしょうか。

10代のみなさんが抱く、悩みや迷いのヒントになるような本を7つのテーマに分けて集めています。

これから大人になって社会に出て行くみなさんが、自分を見つめ、命を守って、生き抜いていけるよう、町立図書館では本を通して “ティーンズ” を応援していきます。

 

毎月第2水曜日には、「センパイ!聞いて」を開催しております。

まんのう町出身で、満濃中学校の「センパイ」でもある、慈泉寺の僧侶・片岡妙晶さんが、10代のみなさんの相談に乗ってくださいます。

一人で悩んでいること、なんだかモヤモヤしていることなど、どんなことでも大丈夫です。

相談の内容が他の人に知られることはありませんので、安心してください。

 

妙晶さんからのメッセージです♪

10代のみなさん、TEENSの森で待ってます (^_-)-☆

 

9月8日㈬の「センパイ!聞いて」は、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、お休みさせていただきます。ご了承下さい。

 

 

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図書館動物園においでよ

この夏の町立図書館は、あっちもこっちも動物でいっぱいです。

みなさんも、かりまいちゃんやひまわんと一緒に、「図書館動物園」を楽しんでくださいね (^_-)-☆

 

 

みなさんのご来館をお待ちしています。

 

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応援メッセージ大募集‼

ついに始まりました。

57年ぶりの日本開催!

東京オリンピックが開幕しましたね (^_-)-☆

今回のオリンピック・パラリンピックには、香川県出身やゆかりのある選手がたくさん出場しますよ 🏸

町立図書館では、「地元の星」たちを応援するイベントを開催しています。

館内にあるメッセージカードに、選手への応援メッセージを書いて下さいね。

みんなで、香川の選手にエールを贈りましょう‼

 

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図書館動物園 開園で~す

ようやく梅雨も明け、待ちに待った夏休み。

この夏、まんのう町立図書館は動物園に大変身ですよ!

と言っても、本物のゾウやライオンはいません (^^♪

動物のスゴさや可愛さ、不思議さなどをたっぷり楽しめる、動物づくしの夏休みになります。

 

ロビーでは、動物たちの足跡を実物大で展示しています。

どれが何の足跡か、当てることができるかな?

足跡の裏側には、実物大の動物をたっぷり楽しめる本もありますよ 📖

 

みんなで世界に一つだけの手づくり動物園を作るイベントも開催しています。

みなさんの手づくり動物で、図書館をいっぱいにしましょう‼

もうすでに、たくさんの動物たちが、仲間がやって来るのを待っていますよ ♪

 

 

大人気の「かりまいちゃんぬりえ」と、「どうぶつクロスワードクイズ」もあります。

館内または、下からダウンロードしてご利用ください。

↓↓↓↓↓↓

かりまいちゃんぬりえ

どうぶつクロスワードクイズ

 

スタンプラリーもやってますよ。

各コーナーで本を借りたり、ぬりえやクロスワードクイズに参加して、スタンプをいっぱいためましょう!

 

みなさんの夏休みの予定に、ぜひ図書館動物園も加えて下さいね。

 

 

 

 

 

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手づくり動物大募集‼

夏ですね ☀ 夏といえば、ひまわり。

まんのう町が鮮やかな黄色に染まる季節ですね。

上の写真は、当館スタッフが撮影した、町内のひまわり畑です。

名前の通り、どの子もみんな、お日様の方を向いていますね (^_-)-☆

 

さてさて、7月に入ると待ち遠しいのが夏休み!

今年の夏は、図書館が「動物園」になりますよ。

とはいえ、本物の動物をたくさん連れてくるわけではありません。

動物のおはなしや、愛らしい写真、動物にたずさわるお仕事などなど、

館内が動物の本でいっぱいになります。

 

夏休み期間中は、「みんなの図書館動物園」も開催されます。

手づくりの動物たちを集めた、世界に一つだけの動物園です。

みなさんの手づくり動物も、仲間に入りませんか?

工作や手芸、デジタル作品など、手づくりの動物なら、何でもOKです。

お家で一緒に暮らしてる、ペットの激カワ写真も大歓迎ですよ ♪

夏が終わる頃には、動物園が可愛くてステキな動物たちでいっぱいになります。

是非、ご参加ください。

 

作品の写真をメールでお送りいただくこともできます。

たくさんのご応募、待っています!

 

 

 

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