第6回 ブログ版 郷土史講座「満濃池シリーズ5」

松の内も明け、学校もお仕事も通常モードに戻った方が多いかと思いますが、町立図書館も寒さやコロナに負けず、様々な展示やイベントを始動させていますよ。

昨年、ブログ版として新連載を始めた「郷土史講座」では、今年も引き続き、地域の知られざる歴史を楽しく学んでいただけます。

講師は、もうすっかりお馴染みですよね (^_-)-☆

片岡孝暢さんです。

第6回ブログ版 「郷土史講座」 ~満濃池シリ-ズ5~

<廃池による池内村と西嶋八兵衛の再興>

今回は、4回目の疑問点を太郎くんと花子さんが探究した学習の成果を報告します。

 

花子さん:平安末期の元暦元年(1184)、満濃池が決壊したらしいけど、その後復旧は行われず、池地は荒廃したままだったのね。

太郎君:そのようだね。満濃池が決壊したときは、源平合戦が行われていた頃だね。その後の状態を表わした絵図①があるよ。この絵図は嘉永年間のものだそうだよ。

 

花子さん:なるほど。嘉永年間というのは、1624年~1645年だから、この時点までこの状態で放置されていたということなのね。

花子さん:池内に金倉川の川筋が見えるわ。また、図に向かって中央の池の宮がある小山の右側に流れている川は、空海が作ったといわれる余水吐かな?それから、大小様々な岩石がころがっているけど、堤に使われていたのかしら?

太郎くん:そのようだね。この堤あたりの地層は岩石(花崗岩)だったようだ。また、池地には民家や農地、あぜ道などが描かれているよ。長きにわたっての農地を耕作し生活していた様子がうかがえるね。それから、右の山上にも家が3軒あり、そのうち手前の1軒は屋根が立派だね。矢原家と何か関係があるのかな?また、山々にはたぶん松の木だと思うけど、たくさん植えられているね。堤や「ゆる」の修繕に使ったのかもしれないね。現在も、満濃池の周囲の山々には松が多く植生しているよ。

花子さん:図上のところに、記録の文章みたいなものがあるわね。

太郎くん:西嶋八兵衛による池再築の着工から完成までの工程や、矢原氏との交渉過程の事が書かれているらしいよ。

花子さん:ところで、池地はだれの所有地だったの?社会科の授業で寄進地系荘園というのを習ったけど、これと関係しているの?

太郎くん:万乃池を領有していた開発領主は矢原氏で、国司からの税等から逃れるために、中央の権力者(上皇)に寄進したようだね。

嘉元4年(1306)、「昭慶門院御領目録案」(昭慶門院とは亀山上皇の皇女:熹子内親王の女院号)の讃岐条に、「萬乃池 秦久勝」とある。たぶん、秦氏が知行人だとすると、矢原氏との領地における力関係が疑問だね。その150年後の長禄2年(1458)、満濃池は加茂別雷神社の社領となっているようだ。 (『満濃池名勝調査報告書』、『満濃池史』を参照)

花子さん:西嶋八兵衛さんはどうして、満濃池を再築することになったの?

太郎くん:生駒藩政の時代、新田開発が進められる一方、干ばつも相次ぎ、雨が少ない讃岐では池築造(水の確保)が必須だったと思うよ。

太郎くん:4代藩主の生駒高俊のとき、彼はまだ11歳だったので、外祖父の藤堂高虎が後見人として藩政を執り、家臣の西嶋八兵衛が伊勢津藩(三重県)より呼ばれた。彼は数年間で90余のため池の築造や増築、香東川の治水工事にも成功をおさめているらしいよ。とにかく、彼は水利、土木技術、築城の設計などに優れていたようだね。

花子さん:西嶋八兵衛さんが、満濃池の再築をした時は、池内地はだれの領地だったの?

太郎くん:矢原氏の領地だったようだね。前記の「満濃池営築図」の左下末尾の附記や、西嶋八兵衛が矢原正直(又右衛門)に出した書状から、寛永3年(1626)8月、奉行の西嶋八兵衛が矢原正直方へ来て、那珂郡の毎年の旱害について懇談がなされ、正直は西嶋の企てを聞いて賛同し、池内に所持している田畑25町余歩を残らず差し出す旨を申し出たそうだ。そして、潔く立ち退き、20余りの池内村の人々もこれに従ったようだ。(藤田勝重『西嶋八兵衛と栗林公園』を参照)

太郎くん:「矢原家系図」によると、西嶋八兵衛は満濃池地を詳しく調査し、池地の豪族矢原又左衛門正直と夜を徹して話し合い、池敷の提供を受け、修築の協力を得ただけでなく、矢原家に伝承されていた空海修築の記録や伝承を見せてもらい、それを検討して再築の計画を立てることができた、そうだよ。(『讃岐のため池誌』を参照)

太郎くん:これらからすると、満濃池は加茂別雷神社の社領となった後、矢原氏が領有していることになる。たぶん、讃岐国の領主となった仙石秀久のときに、知行地として賜ったのではないだろうか?

花子さん:矢原氏は公共の利益の事を考え、自らの領地を寄付するなんて立派な方ね。でも、池内村の人々は立ち退き、どこへ移ったの?

太郎くん:矢原正直は、満濃の池守に任命されるにあたって、満濃池上下において50石を与えられているようだよ。(下記資料①/生駒家家老西嶋八兵衛、淺田右京、高俊の命を奉じ、矢原又右衛門に満濃池上下五拾石を宛行う:出典中の解説より引用)

 資料① 寛永12年(1635)4月3日 生駒家家老蓮著奉書 矢原家文書

(『新編香川叢書 史料篇(二)』香川県教育員会 1981より抜粋。尚、資料中の(正直)は筆者が記入。)

 

花子さん:そしたら、その池下の50石の地に、池内村の人々を移したのかな?

太郎くん:僕もそう思うよ。「樋外(ひのわき)50石」の水利特権を認められた地域が池下、池尻にあると聞いたことがあるよ。大貝股、平林股、桶樋股(おけどいまた)らしい。下記の写真①が、その地域のあたりだよ。

太郎くん:そして、移住の代償として無条件で常時配水が受けられるという特別の水利権が与えられたらしいよ。また、池内村時代にこの地域の人々は、池地の天真名井の水を桶樋で引水して耕作していたので与えられた特権であるという説や、この地域が高松藩の種もみ採集地域であったからという言い伝えもあるらしいよ。(『新修満濃町誌』、『満濃池史』を引用)

花子さん:でも、下の写真②のように、この三地域の水田は、金倉川より高い所にあるのに、どうやって水田に水を入れているの?

太郎くん:僕も最初疑問だったけど、水門の所に行ってみてやっとわかったよ。実は、下の写真③のように、水の出口の所(ほたる見公園内)で、金倉川とは別に3つの方向に分水しているようだね。

花子さん:なるほどね。いろいろ工夫されているのね。

 

一つの「池」にまつわる話が、回を重ねるごとにどんどん枝葉を広げ、歴史の一ページを彩っていくようですね。

歴史ロマンの旅に終わりはないですね。

片岡さん、ありがとうございました。

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新年のご挨拶🎍

新年あけまして おめでとうございます。

2021年、令和3年の幕開けでございます!!

何はともあれ、お正月はおめでたいもの。

美味しいものを食べて、家族や大切な人たちとの、心和む時間を過ごして…。

傍らにお気に入りの本がある方もいらっしゃるのでは?

まんのう町立図書館は、2021年もたくさんの本とともに

皆様のご来館をお待ちしております。

 

お正月第一弾は「本の福袋」です。

気になるテーマの袋を選んだら、そのまま貸出。袋の中身は、帰ってからのお楽しみです。

思いもよらない本や、普段はあまり読むことのないような本が入っているかもしれませんよ。

本との新たな出会いを楽しんでくださいね。

大人向けと子ども向け、それぞれ20袋の数量限定ですので、早い者勝ちですよ (^_-)-☆

 

ロビーには「かりまい神社」が登場です!!

図書館オリジナルの絵馬に、応援メッセージや願い事を書いて、飾りましょう。

新年を迎え心機一転。たくさんの夢と希望で、図書館をいっぱいにしましょう!!

 

それでは、当館マスコット・キャラクターのかりまいちゃんより、新年のご挨拶です。

今年は動画で、ハージョンアップしております。

 

↓↓↓↓↓  動画の閲覧はこちらから

 

皆さまにとって、2021年が素晴らしい年になりますように。

本年も、よろしくお願い致します。

 

まんのう町立図書館 スタッフ一同

 

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今年も一年、お世話になりました💕

年の瀬を迎えると、一年があっという間だったと、しみじみ感じるのですが、今年は特に時間の流れが早かったように思えますね。

2020年は、おはなし会に工作会などのイベント、毎年恒例となっている6月の開館記念行事も、例年通りには開催できませんでした。

町立図書館が最も大切にしている「利用者の皆さまとのつながり」をさらに深めるため、試行錯誤を重ねながら、様々な取り組みに挑戦した年でもありました。

当館では初めての試みとなる、オンラインでの参加型イベントがその一つです。

「中高生のための哲学対話」や、「BookBookつくり隊」のオンラインでの参加など、これまでにはなかった形での ‟つながり方” を見出す機会にもなりました。

動画配信による情報発信も大きなチャレンジとなりました。

当面、マスクの着用や滞在時間の制限など、ご不便をおかけする状況が続きますが、本と人と地域をつなげる「みんなの図書館」としての役割を果たすべく、新しい年もスタッフ一同、邁進してまいりますので、2021年もまんのう町立図書館をよろしくお願いいたします。

新たな年も、たくさんの本とともに皆様のご来館をお待ちしています。

2021年が、誰にとっても明るく輝かしいものになりますように。

 

新年は1月4日㈪  午前10時より開館 いたします。

新春企画第一弾「本の福袋」もお楽しみに。

それでは、よいお正月をお迎えください。

 

まんのう町立図書館 スタッフ一同

 

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年末年始 休館のお知らせ

今年も残すところ…指折り数えるほどになりましたね。

年末は何かと大忙しですが、お正月休みにゆっくり本を読まれる方もいらっしゃでしょう。

町立図書館では、

12月29日㈫~1月3日㈰ の期間を、年末年始の休館といたします。

期間中の本の返却は、駐車場側外壁に設置した返却ポストをご利用ください

尚、DVD、CD付き本、大型絵本、紙芝居等は、破損の恐れがありますので、1月4日㈪以降に図書館カウンターでの返却をお願い致します。

 

新年は

1月4日㈪ 午前10時~ 開館いたします。

お正月企画第一弾は「本の福袋」です。

気になるテーマの袋を選び、中身は開けてからのお楽しみです。

大人向けと子ども向け、それぞれ20袋の数量限定ですので、なくなり次第終了となります。

本との新たな出会いを見つけに、是非お正月は図書館へ足をお運びください。

 

ロビーでは「みんなで絵馬を書こう!」も開催いたします。

受験生や、コロナ禍で頑張っている人たちへの応援メッセージや、新年に向けての希望や抱負などを図書館オリジナル絵馬に書いて飾ります。

図書館を夢と希望でいっぱいにしましょう!

 

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本と生きよう! おはなし会 📖

今夜はサンタさん、来てくれるかな?

どんなプレゼントを持って来てくれるかな?

何日も前からウズウズしている子もたくさんいるのではないでしょうか (^_-)-☆

町立図書館では12月20日㈰に、一足早いクリスマスプレゼントとして、「本と生きよう! おはなし会」を開催いたしました!

昨年、まんのう町では町民の皆さまが読書に親しみ、読書の素晴らしさについて理解を深める日として、毎年6月の第一土曜日を「まんのう町民読書の日」に制定しました。

町立図書館の開館記念でもある6月には、開館8周年の記念イベントで、町民読書の日のテーマソング「本と生きよう」をお披露目する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で中止になってしまいました。

多くのイベントが中止を余儀なくされる中、クリスマスを前に、歌ではなく「朗読」のかたちではありますが、おはなしの世界を楽しみ、本と生きる喜びを分かち合う時間を作ることが出来ました。

午前の部では、日頃より町立図書館の活動を支援してくださっている、まんのう町図書館協議会委員長の、小亀重喜さんより ‟図書館愛” に溢れたお言葉を頂きました。

午後の部では当館の細原館長より、参加者の皆さんに向けてご挨拶をさせて頂きました。

まんのう町の読書推進計画のスローガンである「生涯学習のまち、本と生きるまち、まんのう町」から生まれたテーマソング「本と生きよう」。

 

飛沫感染防止の観点から、歌ではなく朗読という形になりましたが、本邦初公開&世界初演でございます ♪

歌詞の世界観を絵本にしたものを見ながら聞くと、言葉がぐっと心に入ってきます。

 

続いておはなし会です。

ひっくり返すことで、砂が落ちて時間を刻み始める砂時計と、ページをめくることで物語の世界が動き出す読書は、どこか似ていませんか?

『すなどけい』の絵本で、物語の世界を動かしてみましょう。

続いては、本と生きよう!読書運動で作った童話集の中から、「ちいさなちいさな本」という物語です。

同じ物語を聞いても、頭に思い描く情景は、一人一人違ったもの。同じ言葉を聞いても、連想するものも違ったもの。

だからこそ、物語は楽しくて無限に広がる世界を見せてくれるのかもしれませんね。

町立図書館では、「ようこそ、あなたの図書館へ」の気持ちを大切に、「たのしくて、わくわくする」みんなの図書館を、みんなと一緒に作っていきたいと思っています。

本と人と図書館。是非、これからも図書館に足をお運びください。

そして本とつながり、本と紡ぐ素敵な時間をお過ごしください。

 

まんのう町民読書の日テーマソング「本と生きよう」は、毎週土曜日夜8:30~まんのう町行政放送ふれあいチャンネルで、聞くことができます。歌の後には、「図書館のおはなしの時間」として、お話の朗読もあります。ぜひ、お聞きください。

 

 

 

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今月のおはなし会📖

気がつけば、今年もあと一週間。

1年で一番、街中が彩りと音に溢れる季節ですね。

今年は1月を最後に、おはなし会を中断しておりましたが、年の瀬になってようやく再開することが叶いました。

寒くても心がほっこり温かくなる、この季節にぴったりなおはなしがたくさん聞けましたよ。

 

12月4日㈮は、久々の『あかちゃんタイム』です。

色んな色を目で楽しんだり、「ぽんぽん」「ぱんぱん」といった音で言葉の響きを感じたりしました。

お家でもできる手遊びも、お母さんと一緒に楽しんでもらいました。

『あかちゃんタイム』は、小さなお子さんたちの時間です。

感染対策も入念に行っておりますので、安心してご参加ください。

 

12月13日㈰は、『すまいりぃ』による ‟絵本とあそうぼう” です。

小さな子から、ちょっとお姉ちゃんまで、定員いっぱい集まってくれました。

まずはリクエストの本から。

大好きなおはなしは、何度聞いても楽しいもの。みんな、目がキラキラしていましたね。

クリスマスやお餅など、今の季節にぴったりなおはなしを聞いた後は、体も動かしました。

色んな動物になりきって、ジャンプしたり四つん這いになったり、最初から最後まで、笑い声が絶えないおはなし会になりましたね。

 

12月19日土曜日は、『さぬき語りの会』によるおはなし会です。

今回は、少し大きなお子さんたちが集まってくれました。

クリスマスのおはなしの後には、ストーリーテリングを楽しむことができましたよ。

ストーリーテリングは、絵本も台本も持たず、「語り」だけで物語を紡ぐおはなし会です。

初体験の「ストーリーテリング」にみんな最初は緊張した面持ちでしたが、次第に物語の世界に引き込まれていき、お子さんたちだけでなく、一緒にいた親御さんたちも楽しんでくれました。

 

実に11カ月ぶりのおはなし会でしたが、久々に子どもたちの笑い声が館内に響き、物語によって引き出された、たくさんの笑顔が花開きました。

おはなし会では定員を設け、マスクや消毒、そして十分な距離を保つなど、感染症対策を実施したうえでの開催になっております。

皆さまのご参加をお待ちしています。

 

 

 

 

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第8回 ブログ版 農業講座「稲を食べる虫と農薬のはなし」

夏から秋へ、そして徐々に秋が深まりながらゆっくりと冬へ…

というのが、四季の美しい日本の気候だったはずなんですが、

このところ、夏がいつまでも暑さを引きずり、少しだけ秋の気配を感じたかと思うと、

突然、冬将軍が襲いかかって来る! といった感じの気候になっていますよね。

ここ数日は、「寒さの底」とも言えるほど冷え込んでいますが、体調を崩さないように気をつけたいですね。

さて、本日も農業講座のお時間でございます。

講師はお馴染み、農業の達人・豊嶋和人さんです。

【稲を食べる虫と農薬のはなし】

稲作を体験できる『天穂のサクナヒメ』というコンピューターゲームが人気なんだそうです。わたしは持ってないので遊べていないのですが、天候や、施肥、水管理などの作業と病害虫の発生や稲の出来がリアルに結び付けられていて、実際の稲作の技術書がちゃんと参考になるとか。へーっと思って攻略サイトなどを見てみると確かによくできています。害虫だけでなくそれを食べる益虫や蛙も要素に含まれているのがいいですね。

少しおやっと思ったところがあります。ゲームの舞台は近世の日本っぽくて化学農薬も化学肥料もないんですけど、ゲームに出てくる害虫はじつに現代的なのです。

まず椿象(カメムシ)による斑点米の存在です。これは長い稲作の歴史のなかでもここ数十年の問題といっていい現象です。収量が少なく飢饉が頻繁に起きる時代には米につく黒い斑点など誰も気にしないでしょう。実際「斑点米」で論文検索してみますと、お米に量より質が求められるようになった1970年代以降に大きく学術論文数が増えています。

ブログの第三回で少し紹介しました桐谷圭治先生の研究によりますと、耕作放棄地のイネ科雑草を餌にしたカメムシの増加が斑点米問題を大きくしているのだそうです。耕作放棄地の増加も70年代からですね。また、香川県ではここ10年ほどのあいだに、前回も少し話題にしました温暖化によって斑点製造能力の高いミナミアオカメムシがひんぱんに見られるようになりました。

(第3回ブログより、ブロッコリーにつくカメムシ:本人撮影)

 

もう一点は、二化螟蛾(ニカメイガ)がいないことです。ニカメイガは茎のなかに幼虫が入る虫で、ウンカ類とならび長らく稲作最大の害虫でした。が、ちょうど斑点米カメムシと入れ替わるように退場します。その原因はいくつかあるようです。品種改良によって稲の茎が細くなった、土壌改良資材のケイカルの施用により茎が固くなった、あるいはコンバインによって茎が細かく切り刻まれるようになったなどが考えられています。

決して第二次大戦後に発達した化学農薬によって急激に減少したわけではありません。むしろ、化学農薬に対して抵抗性をつけやすい、殺虫剤に強い虫でした。

1960年の夏、香川県中西部の農民が何台ものバスに分乗して県庁に押しかけるという事件が起こります。ニカメイガに使用した農薬、パラチオンが効かずに被害を受けているがどうしてくれるのかと抗議にやってきたのです。粗悪品を売りつけたのではないかと怒る農民もいました。

これは県だけでは収集がつかないと、国の研究所も一緒になってこの年使ったパラチオンの成分を調べますが、粗悪品ではありませんでした。虫がパラチオンに対して抵抗性をつけていたのです。原因は香川県中西部の農民の熱心すぎる防除でした。当時は化学農薬の種類も少ないため、よく効く最新のパラチオンをみんなが使います。香川県の1戸あたり耕作面積は狭く、少しでも収量を上げるため、争うように使用した結果がパラチオンの効かないニカメイガの発生でした。

実際、当時の研究によると、香川県中西部一帯のパラチオンの使用量は他の地域より多かったのです。そして、多い地区ほどそこにいるニカメイガのパラチオン抵抗性は高かったことがわかっています。今の目線から眺めると、農薬のやりすぎよくないねとなるのですが、当時は先述したような食料事情や耕作面積の問題がありました。化学農薬導入前にはニカメイガの防除には誘蛾灯が使われていましたが、讃岐平野には25万燈もの誘蛾灯が灯っていたそうです。これは全国的にも大変多い数でした。

善通寺市に農林省四国農業研究所(現在の農研機構西日本農業研究センター四国研究拠点)が設置されていて、パラチオンの前に使われていた殺虫剤BHCが善通寺市内の実際の圃場で大規模に試験されるなど、化学農薬の威力を身近に経験していたことも化学農薬に対する信頼につながったのでしょう。パラチオンの効果を日本ではじめて確認したのも四国農業研究所でした。当時、抵抗性害虫の問題は一部の研究者が危惧する程度だったようです。

この讃岐のパラチオン騒動によって、はじめて日本で抵抗性害虫の問題が大きく採り上げられるようになりました。また、パラチオンは残留性は低いものの、作業中の中毒事故が多発するような、今の殺虫剤と比較にならないほど急性毒性の高い殺虫剤でしたから、それが虫に効かないとなれば低毒性の殺虫剤への切り替えも加速しました。

60年前の讃岐平野の騒動は日本の殺虫剤の歴史を変えた…と結べることができれば美しいのですが、今年の水稲に大きな被害をもたらしたトビイロウンカをはじめ抵抗性害虫の問題は近年さらに深刻化しています。その話は長くなるので割愛しますが、60年前の教訓からか、香川県農業試験場病害虫防除所(リンク)は殺虫剤の効きを調べる「感受性検定」を他県と比較しても熱心に行ってくれているようです。

 

参考文献

尾崎幸三郎『虫のこと むしに聞く(水稲害虫の薬剤抵抗性)』←私家版ですが、県立図書館の郷土資料に所蔵されています。

小山重郎『害虫はなぜ生まれたのか 農薬以前から有機農業まで』(東海大学出版会)

石倉秀次『誘蛾灯史』『薬剤による螟虫の防除』(日本植物防疫協会植物防疫資料館資料)

 

農薬については制度や登録内容が頻繁に変わるので本で勉強するには不向きな分野ですが、最新の内容を平易に記述してくれている

農文協編『今さら聞けない農薬の話きほんのき』(6158 ノ) ※

は現時点でのおすすめです。ただ、来年からまた制度が変わって環境や作業者の安全に対する規制が厳しくなります。最新の資料で勉強したい場合は日本植物防疫協会が毎年発行している『農薬概説』がもっとも確実です。

は町立図書館所蔵です。

カメムシは「椿象」と書くんですね。字面からは、甘くかぐわしい香りを放つ虫のようなんですがね…。

ちなみに、英語では ‟stink bug” と言い、「臭いムシ」という、そのまんまな呼び方をするようです。

豊嶋さん、今回もありがとうございました。

 

 

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かりまいちゃんのクリスマス🎄

もうすぐクリスマス。

ケーキにごちそう、プレゼント…、そして家族や友達とのあったかい時間💛

クリスマスは楽しいことがいっぱいですね。

かりまいちゃんのクリスマスは、いったいどんな感じでしょうか?

動画でお楽しみ下さい。

 

↓↓↓↓↓↓  動画の閲覧はこちらから

 

みなさんも、ステキな時間をお過ごしください。

Happy  Christmas!!

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第5回 ブログ版 郷土史講座「満濃池シリーズ4:紙芝居編」

今回の郷土史講座は、少し趣向を変えて「紙芝居」でお送りします。

満濃池の伝説が、講師の片岡さんによる味わい深い絵とともに、素敵な紙芝居になりました。

本邦初公開でございます。

どうぞお楽しみください。

 

第5回ブログ版 「郷土史講座」 ~満濃池シリ-ズ / 紙芝居編~

<満濃池の龍神伝説>

満濃池の龍神伝説は、『今昔物語集』の中の「龍王、天狗のために取られたる物語」に収められているお話です。(本文は讃岐弁です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花梨さん:『今昔物語集』って、いつ頃、書かれたものなの?

太郎くん:平安時代の末期に書かれた説話集だよ。

花梨さん:この絵は現在の満濃池の堤から見た風景でしょ?

太郎くん:そうだよ。でもこれから物語は平安時代に入っていくので、絵もできるだけその時代に合わせて描かれているよ。

花梨さん:龍は満濃池のどこに住んでいたの?

太郎くん:絵の左の蛇谷と言われている所だよ。現在はここに「八大龍王」の祠が祀られているよ。

花梨さん:でも、なぜ満濃池に龍が住んでいたの?

太郎くん:地元の方の話によると、ここに棲む龍は志度寺から導かれて来たそうだ。志度寺の『當願暮當の縁起』に次のように記されている。その昔、當願と暮當という猟師をしている二人の兄弟がおり、兄の當願は三宝に帰することもなく、弟の暮當を妬んで、ある時首から下が蛇になってしまったそうだ。そこで、兄は弟に、「當国萬農の池にいれたまわれ」と願い、満濃池に入れてもらったという話だよ。でも、一説では、龍はもともと満濃池に棲んでいたと云われているよ。

花梨さん:そしたら、龍と蛇の関係はどうなっているの?

太郎くん:人々は、稲作の始まりとともに、蛇を生命・豊穣の象徴として畏敬の念を抱いてきた。そこへ、龍がインド(仏教)・中国(皇帝のシンボル)を経て日本へ入ってくると、蛇が龍へと神格化したのではないかな?そして、日本には「主・ぬし」という考え方があり、古来より山や川、池、渕、泉などには「ぬし」がおり、そこを守ってくれるという。

だから、雨の少ない讃岐、満濃池に龍が住んでいたということになったのではないかな。

天長元年(824)、空海が京都の神泉苑で行った「雨乞祈祷」の時も「善如(女)竜王」が出てくるよ。

花梨さん:ところで、絵の右手の九十九谷(つくもだに)の所にある井の印は何なの?

太郎くん:よく気づいたね。あれは、「天真名井(あまのまない)」と言って、出水(湧き水)があったそうだ。きっと、生活水や稲作に利用したのだろうね。

 

花梨さん:比良山のある琵琶湖は、当時何という国にあったの?

太郎くん:近江国(おうみのくに)といって、現在の滋賀県だよ。比良山はその琵琶湖の左(西側)にあるよ。

花梨さん:地図があると、讃岐国と近江国がどこにあるかよくわかるわね。どれくらい離れているのかしら?

太郎くん:地図帳で測ってみると、直線距離で約250kmだったよ。

太郎くん:そしたら、地図の中の緑の濃い所や黄土色の所はどんな所か分かる?

花梨さん:もちろんよ、学校で習ったわ。香川県の所が讃岐山脈で、四国地方の所が四国山地、中国地方の所が中国山地、紀伊半島の所が紀伊山地、そして黄土色の所が市街地よね。

 

花梨さん:御住職(ごじゅうしょく)はどこの寺のお坊さんなの?

太郎くん:比叡山延暦寺東塔の僧だよ。当時の高僧はみな比叡山延暦寺で修行していたらしいよ。もちろん、空海も高野山金剛峰寺を開く前は、ここで勉強したようだ。

花梨さん:龍神様は、お坊さんがつれて来られて、しかも水瓶を持っていたので、さぞかし嬉しかったでしょうね。

太郎くん:龍神様は「もし、一滴の水があるなら、あなたを必ずもとの住まいにお連れします」と言ったそうだ。そして、僧は喜んで水瓶を傾けて龍に水を与えたそうだ。

太郎くん:龍は喜んで僧にこう言ったそうだ。「けっしてこわがらずに目をつぶってわたしにおぶさってください。あなたのご恩は一生涯忘れません」と。

 

花梨さん:まさに、命の水ね!

太郎くん:生き物はすべて水がなかったら生きていけないものね。水の大切さを感じるね。

 

花梨さん:天狗は荒法師(乱暴な僧)の姿に化けていたのね。悪いことをしていたら必ずばち(罰)があたると、おばあちゃんが言っていたわ。

太郎くん:このあと、僧は龍の恩に報いようと、経を唱え、善根功徳(ぜんこんくどく)の行を修め続けたそうだ。

龍先生:まことに、龍は僧のおかげで命を全うし元の満濃池に帰ることができ、僧は龍の力により比叡山に帰ることができたのですね。めでたし、めでたし。日照りの多い水不足に悩まされてきた讃岐の農民は、龍が天高く舞い上がり(昇り竜)、雲を呼び起こし、雨をもたらす水乞い・雨乞い(竜神信仰)の象徴だったのでしょうね。伝説とはいえ、現代でも教えられることがたくさんありましたね。

 

※脚本はまんのう町の「かりん会館」に所蔵されていたものを使用させていただき、画は筆者が作成しました。

尚、『今昔物語集』は『新編日本古典文学全集35巻』「今昔物語集巻第14」、「竜王為天狗被取語第十一」馬淵和夫・国文麿・稲垣泰一校注者、小学館を参照させていただきました。)

こちらの紙芝居は、12月25日㈮~27日㈰の3日間、中讃ケーブルテレビの『まんのうまんテン通信』でもお楽しみ頂けます。

時間は各日、8時45分~18時45分~の2回です。

アナウンサーの中山百合子さんによる素晴らしい語りと、本講座の講師・片岡孝暢さんの解説で、より物語の世界観が広がって見えてくると思います。

お楽しみに♪

片岡さん、ありがとうございました。

 

 

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第4回 ブログ版 郷土史講座「満濃池シリーズ3」

師走に入り、季節はすっかり冬になりましたね。

遠くへ“Go To”できない方も、近場で散策や史跡巡りなどを楽しんでみてはいかがでしょう。

本日も、そんな「ちょい旅」にぴったりな、郷土史講座のお時間です (^_-)-☆

講師はお馴染み、片岡孝暢さんです。

 

第4回ブログ版 「郷土史講座」 ~満濃池シリ-ズ3~

 

<満濃池の主な歴史年表を見ての探究学習>

今回は、太郎くんと花子さんが協力して、満濃池の主な歴史(江戸時代初期まで)を年表にしました。下の年表がそれです。

 

◇ この作成した年表を見て、二人が対話・問答を行いました。

花子さん:701年って、何時代、国では政治面で、どんなことが起きた年なの?

太郎くん:奈良時代の前の白鳳時代かな、その年は大宝律令が制定された年だったと、     中学校の歴史の教科書に書いてあったよ。

花子さん:そしたら、国守(こくしゅ)ってどういう意味?

太郎くん:朝廷から地方へ派遣され、その地を治めた国司(官吏、役人)の長官のこと     だよ。今でいうなら、知事さんみたいな役職の人かな?

花子さん:道守朝臣はどういう方なの?

太郎くん:『日本書紀』のなかに、天武天皇13年(684)、道守臣(ちもりのおみ)が朝臣(あそみ)の姓を賜ったと記されており、『古事記』のなかには、建内の宿禰(たけのうちのすくね/武内宿禰)が大陸から渡来した人びとを率いてため池を作ったと記されている。だから、この頃ため池築造の技術もあったと思うし、建内の宿禰と道守朝臣との間に、池の築造に関して何らかの関係があったのかもしれないね?また、この時、この地域の豪族であった御村別の子孫(伊予から移住)か、もしくは矢原氏の先祖がこの池の築造にかかわっていたかもしれないね。

どちらにしても、讃岐国の国司の史料上の確実な初見は『続日本紀』「和同元年(708)」に出てくる大伴宿禰道足なので、「満濃池後碑文」の記録だけでは、道守朝臣を国司と認めることは難しいそうだよ。(『日本書紀』「天武天皇下」、『古事記』「応神天皇」『続日本紀』「元明天皇」の各項を参照)

 

花子さん:満濃池ができる前は、ここはどうなっていたのかな? 人が住んでいたの?

太郎くん:縄文時代や弥生時代、古墳時代、人々がここで暮らしていたと思うよ。南側の多くの湾が入り組んでいるあたりは砂層で、湧水(天真名井)があり、その水や谷水、金倉川の水を使って、稲作が行われていた。もともと金倉川が浸食してできた広い谷の、狭い断崖に堤防を築いてできたのが満濃池だから。

太郎くん:だから、縄文期の石器や弥生期の土師器、古墳中期以降の須恵器、またサヌカイト片も発見されているし、窯跡(写真①)や古墳跡(写真②)も見つかったらしいよ。(案内板:満濃町教育員会、『満濃池名勝調査報告書』を参照)

(写真① 神野1号窯跡・本人撮影)

(写真② 神野箱式石棺・本人撮影)

 

花子さん:そしたら、どうしてここに大きな池を作る必要があったの?

太郎くん:それは、讃岐国の丸亀平野の条里制の整備とともに、水田への多量の水が必要だったと思うよ。池の水を引くかんがい工事が大変だけど、満濃池の場合は金倉川を用水路としてうまく利用したのだろうね。

花子さん:この頃、讃岐国以外でも、ため池の築造やかんがい工事をしていたのかな?

太郎くん朝廷は、班田収受法を定め公地公民制を確立し、各国に国司を派遣し、「国々の堤を築くべき所、水路を掘るべき所、開墾すべき所は公平に与えて工事させよ」と命令を下していたようだ。(現代語訳『日本書紀』「孝徳天皇」の項を引用)

 花子さん:この年表中でも、洪水で堤防が3回も決壊しているわね。

太郎くん:そうだね。丈夫な堤防を造るのは難しいということだね。池は農業用水を確保するという役割だけでなく、洪水を防ぐ治水という意味もあるのだね。

 花子さん:ところで、満濃池を再築した空海さんは、どんなところがすごいの?

太郎くん:空海は中国(唐)で仏教を学ぶだけでなく、土木工事にも精通していたそうだよ。また、多くの百姓たちから慕われており、空海のためなら力を惜しむことなく共に働いてくれるという信頼があったみたいだね。そして、堤防造りにおいてが3つの優れた点があったといわれているよ。まず、堤の内側を水圧防止のために弧(ア-チ状)を描いて造ったこと、次に洪水時の堤防の決壊を防ぐ目的で、岩盤を削り(余水吐)を設けたこと、最後に護岸を強固にするために柵(水たたき)を設けたということ、だそうだよ。(『満濃池史』を引用)

花子さん:なるほど。今の堤防築造の方法や工夫点と基本的には同じね。あの時代、すでに考えていたとはすごいわ。

 

花子さん:弘仁12年、空海さんが矢原邸(跡/写真③)に来た時、花梨(写真④矢原邸の森)を持参したそうだけど、太郎くんはなぜ「かりん」だったと思う?

 

太郎くん:「かりん」は今でも喉飴に使用しているけど、たぶん薬用のためだと思うよ。中国の栽培地域と気候風土が合っていたのもよかったと思うね。現在は、町木にもなっているね。

花子さん:空海さん(写真⑤)が護摩壇岩(写真⑥)で、護摩を焚いて祈願をしたそうだけど、何を祈願したのかな?

 

太郎くん:護摩を焚き修法を行ったようだ。護岸工事の安全祈願をしたようだけど、僕は雨乞い祈願もしたのではないのかなと思っているよ。満濃池には竜神伝説(『今昔物語』)があるけど、僕は池に棲む竜を水の底から呼び起こし、「昇り竜」のごとく天に立ち登らせ、天の神と交わらせ、雨を降らせる(降り竜)陰陽合体の修法ではないかと考えているよ。

花子さん:そう言えば、綾子踊を見たとき、「昇竜と降竜」や「善女龍王」ののぼりが立っていたわね。

太郎くん:踊(昇竜、降竜)には、雨乞いに対する祈願と感謝の意味もあると思うよ。また、天長元年(824)、弘法大師が京都の神泉苑で請雨経法を行ったとき、「善如(女)竜王」が現れ、この修法によって効験あるだろうと示された、と『今昔物語』に記されているよ。

花子さん:1184年に堤防が決壊してから、どうして450年もの間放置されていたの?

太郎くん:予想だけど、満濃池の水掛かりは広範囲にわたっており、鎌倉時代や室町時代は、江戸幕府のように地方の組織がまだまだ不十分で、南北朝の動乱期や戦国時代は、讃岐武士も戦に参戦し、それどころではなかったのではないかな?

花子さん:1628年、西嶋八兵衛さんが再築したとき、池内村の人々はどうなったの?

太郎くん:そうだね。家屋や水田は水に埋まってしまい池内では居られないから、どこかへ立ちのきになったと思うよ。

花子さん:どのあたりに移ったのかしら?何か補償でもしてくれたのかしら?

太郎くん:難しい質問だね。次回までに、西嶋八兵衛のことと合わせてお互いに調べてみよう!

 

参考資料

※上記①~④の資料は、まんのう町立図書館に所蔵されています。また、⑤、⑥の資料は香川県立図書館所蔵なので、町立図書館で借りていただけます。

知れば知るほど、奥が深くなるのが歴史なんですね。

片岡さん、ありがとうございました。

 

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