巣ごもり生活もゆるやかになり、新緑を揺らす風を頬に感じながら、お散歩や街歩きも少しずつ楽しめるようになりましたね。
歴史好きの方は、古地図を片手に史跡巡りなどに出かけたくなりますよね。
そんな歴史好きの方や、郷土愛にあふれた地元の方たちに大人気の「郷土史講座」が、この度 ‟ブログ版” として新シリーズを開始することになりました!
講師はまんのう町在住で地域の歴史を長年に渡って考察されている、片岡孝暢さんです。
第1回 ブログ版「郷土史講座」 ~偉人シリ-ズ~
<二宮忠八翁ともみの木峠>
まんのう町追上の「もみの木峠」。ここは、二宮忠八がカラスを見て飛行原理を着想した地、今回は、日本航空機の父と呼ばれる「二宮忠八」(1866年~1936年)のことについて紹介します。「空飛び器、でもなんとなく軽い感じがし、思案した末、思いついたのが「飛行器」でした。
それでは、太郎君と花子さんの対話・問答を通して、皆さんも彼の考案した飛行器のすばらしい点を考えてみてください。
花子さん:二宮忠八さんがもみの木峠で、飛行原理を発見したのはいつ頃のことなの?
太郎くん:明治22年(1889)だよ。彼は丸亀の陸軍歩兵隊の看護手として、高知の方へ野外練習に行っていた帰り、ちょうど昼飯のとき、竹皮に付着した飯粒を食べにカラスが滑空してくる姿を見て考えたそうだよ。
花子さん:カラスのどこに着眼したの?
太郎くん:今までは、鳥が飛べるのは羽ばたくからだと考えられていたと思うよ。でも、その時、カラスは羽ばたかなくても飛べている。そしたら・・・。急いで、丸亀の宿舎で、毎晩、カラスをまねた模型の動力飛行器を作り、わずか2年後に完成したようだよ。(明治24年(1891)、25歳、烏型飛行器)それが、下の写真①だ。実際飛ばしたとき、地上滑走しての1回目約9m、2回目約10m、3回目は手で投げて約30mだったようだ。
写真① 二宮忠八飛行館提供。(次男の顕次郎氏製作の模型。)
花子さん:カラスそっくりね。
太郎くん:今の飛行機と関連させて、当時としてはすごいなと思う点を見つけてみてよ。
花子さん:車輪が3つあるのは今の飛行機と同じね。本で見たけど、確かライト兄弟は寝て操縦しており、機体には車輪がなかったと思うわ。
花子さん:プロペラの発想もすごいわ。ひと昔前の飛行機も同じだもの。
太郎くん:ゴムをねじることでプロペラの動力とし、しかもこのゴムは自分のいらなくなった聴診器の管を使ったそうだよ。
太郎くん:僕も模型飛行機を作ってみたことがあるけど、垂直尾翼がはずれて飛ばしたところ、機体がぐるぐる回ってまっすぐ飛ばなかったことを覚えているよ。
花子さん:すると、このカラスの場合はどうなるの?
太郎くん:頭の所が、竪になっているので、これが垂直尾翼の代わりになっていると思う。
花子さん:もう他にはない?
太郎くん:何と言っても一番すごいと思うのは、羽の形だと思うよ。断面図を描いてみると、図①のようになっている。
図① 筆者作成
太郎くん:力学的に、物体は重力が働き、そのままだと落ちてしまうけど、前に進む推進力が働くと、空気抵抗をえながら物体を押し上げようとする力(揚力)が働き、その対角線上に進むという原理だよ。(図②)羽の形が上は山のように、下はまっすぐになっており、違うからこそ、速度や圧力の違いが生じ、揚力が生まれるそうだよ。しかも、鳥のように、つばさをいくらか上向きにつけて、前進する力を加える、と飛べると考えたのかな?
図② 二宮忠八飛行館提供。(展示物 三「飛理も原則発見」より)
花子さん:それで、あんなにも重い飛行機が飛ぶのね。でも、原理を理解するのは難しいわ。
太郎くん:そうだね。僕も、なぜ羽の上の速度が下より速くなるのか理解しにくいよ。
花子さん:でも、忠八さんはどうしてこんなすばらしい発想が生まれたのかしら?
太郎くん:彼の出身は愛媛県の八幡浜で、子どもの頃、そこで遊んだ体験や勉強からの気づきが役に立ったのだと思うよ。
例えば、川での水面に向かっての石投げ、竹とんぼづくり、そして、工夫した凧づくりでは名人と云われていたそうだよ。僕も凧あげした経験があるけど、凧に取り付けた糸の調節をして、重心の位置を決めていたと思うよ。
花子さん:話を飛行機にもどすけど、飛行機が空中で自由自在に方向が変えられないとこまるわね。
太郎くん:そうだね。そのためにも、忠八は人が実際に乗ることができる飛行器を作り出したいと考えた。そこで、彼は百種以上の鳥や昆虫の飛ぶ姿を熱心に観察記録し一途に研究したそうだよ。その中でも、玉虫が一番良いと思ったそうだ。それは、上の堅い羽を張って、空中で空気に抵抗し、下の軟らかい羽が堅い羽を押し上げるようにしているから。しかも他の甲虫類と違って、下の羽を折たたまず、同じ大きさであることにも注目したようだ。
下の写真②のように、下の羽を手で操縦し、傾きを変えて、方向転換を図るようにしているよ。
写真② 二宮忠八飛行館提供。(展示品 実寸大の模型品)
花子さん:展示物の玉虫型飛行器にはエンジンがついていないわね。どうして?
太郎くん:人を乗せるためには、エンジンが必要だよね。でも高くて買えないので、軍の上司の方にお願いしたのだけど、断られ、軍を退き、製薬会社で働き自分でオ-トバイのエンジンを購入しようと考えたようだ。
でも、ライト兄弟に先を越されたことをニュ-スで知り、夢が打ちかだかれて、(世界初でなくなった、1時間も飛んだというライト兄弟のような飛行器を10年間研究しても完成することができたかどうかは疑わしいという謙虚な気持ちになり)自分は潔く、飛行機事故の犠牲者を弔うために、飛行神社を建て、神主となったそうだよ。
花子さん:素晴らしい方ね。
太郎くん:のちに、二宮忠八の研究した飛行器のことが認められるようになって、大正14年(1925)、「もみの木峠」に記念碑「魁天下」を建て、二宮忠八夫妻をお招きし、顕彰していくことにしたそうだ。彼から頂いた寄付金で、十郷小学校では二宮賞を設け、地元の人は手紙でのやりとりをしていたそうだよ。
筆 者:児童生徒の皆さんに、物事をじっくりと見つめる力を忠八さんから学び、夢をもって大空に羽ばたいてほしいと願っています。図書館にも飛行機に関する本がたくさんあります。ぜひ、読んでみてください。
(内容面では、『虹の翼』吉村昭、文春文庫を参照させていただきました。また、平成29年、仲南小学校の3年生が社会見学で飛行館に来られた時の質問内容も参考にさせていただきました。そして、飛行館の方には大変お世話になりました。ありがとうございます! 元二宮忠八飛行館館長 片岡孝暢)
まさに、まんのう町が誇る偉人ですね。
ブログ版「郷土史講座」を通して、地元の方のみならず、多くの方にまんのう町の知られざる魅力を知ってもらいたいですね。
片岡さん、ありがとうございました。