第2回 ブログ版 郷土史講座「満濃池シリーズ1」

暑い…、一日に何度この言葉をつぶやくことでしょう…。

まだ真夏の暑さに体が順応できていないせいでしょうか、連日の蒸し暑さが堪えますよね。マスクを着けていると、尚更です。

お仕事中の方も、プライベートな時間を楽しんいる方も、こまめな水分補給で体調にはお気をつけください。

さて、ブログ版として新たに始まった、大人気シリーズの「郷土史講座」。

早速、第2回をお届けしますね。

講師は、お馴染みの片岡孝暢さんです。

 

第2回ブログ版 「郷土史講座」 ~ 満濃池シリ-ズ1 ~

<「萬濃池 池宮」の絵図から>

国の名勝になった「満濃池」に関することについて、太郎くんと花子さんの「対話・問答」形式で記載します。

太郎くん:満濃池の絵図を発見したよ。

(絵図①)

 

(絵図①『讃岐国名勝図会』 萬濃池池宮 [嘉永7年(1854)]国立公文書館所蔵)


花子さん:これは、いつ頃描かれたものなの?

太郎くん:『讃岐国名勝図会』という書物の中にあったのだけど、この書物の発刊が嘉永7年(1854)らしいよ。

花子さん:すると、江戸時代ね。描いた方は、どこから描いたのかしら?

太郎くん:描いた場所は、たぶん、神野寺の道路をはさんで北西側の小山の上か、さらに、その向こう側の神田良山(地元の方は「こうたろうやま」と呼んでいるそうです)あたりかと思うよ。

花子さん:ドロ-ンがあれば、同じアングルで撮って、絵図と比べてみたいわね。

太郎くん:そうだね。ところで、この絵図を現在の地図や景観(写真①)と重ね合わせてみると、いろんな疑問が湧いてくるよ。

太郎くん:僕が疑問に思った所の絵図の拡大図①だよ。

 

(拡大図① 絵図①の鳥居・社・ウテメ部分の拡大図)

 

(写真① 現在の満濃池 本人撮影)

太郎くん:右手前の小高い山上に鳥居と建物があるけど、何の建物だろうね?

花子さん:石の鳥居みたいだけど、鳥居の内側にあるから、きっと社(神社)ね。しかも、屋根の上にXを描くような形をした千木(ちぎ)があるものね。

太郎くん:現在の神野神社は、絵図とは逆に堤の右岸側に鎮座しているよね。

花子さん:堤の右側、左側では?

太郎くん:満濃池は谷あいの、金倉川の上流をせき止めて造った池だから、川の流れる方向に向かって右側だという意味だよ。

太郎くん:神社はいつ頃、どのようにして創祀されたのだろう?神様はだれ(何)を祭っているのだろう?神社は、いつ、なぜ移転したのだろう?と沢山の疑問がわいてくるよ。

花子さん:難しいわね。何を調べると分かるのかな?

太郎くん:図書館に「郷土史コーナ-」があるから行ってみるといいよ。『新修満濃町誌』があると聞いたよ。

花子さん:神野神社の下にある案内板に、鳥居のことが書いてあったけど、現在の鳥居は、文明2年(1479)に奉献されたものだそうね。ということは、今から500年あまり前の室町時代の後半に建てられたものね。すると、この絵図の時代にはすでにあったものだから、これが移転したのね。

太郎くん:町内では最古のものだそうだね。鳥居の手前から観た満濃池の姿は絶景だね!!(写真②)

(写真② 鳥居から見た満濃池 本人撮影)

太郎くん:さっきの拡大図①を見ると、一番右端に「神野寺跡」と書いてあるね。「跡」っていうことは、この時この寺はすでに廃寺になっていたと考えられるね。

花子さん:どうしてなくなったのかな?

太郎くん:織田信長が比叡山の延暦寺を焼き討ちしたというのを、本で読んだことがあるけど、南北朝や戦国時代は武士同士の戦や寺の反乱などで、焼き討ちがあったのかもしれないね。

太郎くん:絵図の神社がある小山の右手の所に「ウテメ」と書いてあるけど、これはどういう意味かな?

花子さん:そこから水が流れているし、しかも堤の下からではなく上から流れているので、満水したとき余分な水を流すものかもね。

太郎くん:きっとそうだよ。そうしないと、洪水などで堤防が崩れる可能性が強くなるよね。つまり、ため池の安全装置みたいな役割をはたしているのかな。

太郎くん:池の水を調整する仕組みについて、次の絵図の拡大図②をみてくれる?

 (拡大図② 絵図①の「揺」部分の拡大図)

太郎くん:絵図の中央の堤の所に見えている、井戸みたいな四角形をした木の枠組みは何かな?僕は、「ゆる/揺」、つまり池の水を抜く装置(やぐら、樋管)みたいなものだと思うのだけど。

花子さん:でも、「ゆる」はどんな仕組みになっているの?今は取水塔があり、毎年6月に「ゆる抜き」があるから、見に来たことがあるけど。

太郎くん:それについても、まだまだ知りたいことがいっぱいあるね。

(拡大図③ 絵図①の歌の部分拡大図)

太郎くん:絵図の上に書かれている歌(拡大図③)だけど、歌のなかに、「うなはらに」、とか「九十九湾」とかあるけど、この時代の人も、満濃池を見て、海のように広いと感じたのだね。九十九湾というのは、絵図右手の尾根と谷が交互にある所のことだよね。歌のなかに「十市の 池水」とあるけど、満濃池のことを十市池とも云うらしいね。確か、満濃中学校の校歌の2番の歌詞にも「十市の池に 空海の・・」とあったね。

花子さん:満濃池を上空から見ると、おもしろい形をしているわね。また、堤から観た、背景の讃岐山脈の山々の風景もすてきね。他にも、池の堤を歩く人の姿や山の名称も興味があるわね。神野神社や神野寺、揺の仕組みなど、まだ疑問が解けていない点もあるわね。

太郎くん:そうだね。次までのお互いの宿題にしようか!!

花子さん:そうね。私は図書館で調べたり、現地にも行ってみようかな。

 

昨年、ため池としては初めて「国の名勝」に指定された満濃池のお話、いかがでしたか。

地元の名所ですが、知らないことがたくさんありますね。

片岡さん、ありがとうございました。

 

町立図書館では、現在「ミニ特設コーナーC」において、満濃池を特集した展示をしております。

「郷土史講座」と合わせて、ご覧になって下さい。

では、次回もお楽しみ (^^♪

 

 

 

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