Bookっと雑学事典

お家で過ごす時間が長くなり、何か気分が晴れる楽しいことでもないかと、パソコンやスマホの画面に視線を落としている方も多いのではないでしょうか。

当ブログでは、テレワークやお家読書の ‟箸休め” に、本や図書館にまつわる、ちょっとした雑学をお届けしていこうと思います。

名づけて『Bookっと(ぶくっと)雑学事典』です (^_-)-☆

仕事や実生活であまり役には立たないけれど、話のネタにはなりそうなエピソードを厳選しております ♪

今回のテーマは「文豪」です。

文豪と言えば…

名高い文学賞にもその名が冠される、芥川龍之介

数々の名作を世に残した日本を代表する文豪ですが、その生き様はなんとも ‟アカンタレ” なものなのでした。

関東大震災の時には、まだ赤ん坊だった息子と妻には目もくれず、自分だけが家から飛び出し避難したという逸話や、夫のある女性と不倫の末に子どもまで作ると、姦通罪(かんつうざい)に問われることを恐れ、中国にまで逃亡したり…。

文才と男気は、必ずしも比例しないものなのですね (-.-)

 

続いては、お札になったこともある夏目漱石です。

漱石先生を生涯悩ませ続けたのは、神経衰弱という病でした。

そもそもデビュー作の『吾輩は猫である』の執筆を始めたのも、持病の神経衰弱を和らげるためだったとか。

その漱石先生、家庭では手に負えない暴君でらしたようです。家政婦さんが傍を通っただけで、「今、何と言った!」と怒鳴ったり、子どもたちが隣の部屋で笑っていると、自分の悪口を言っていると難癖をつけたり…、時には暴力を振るうこともあったようです。

しかしながら、すべては病がそうさせていたのかもしれませんね。残された作品に罪はありません (*_*;

今に続く芥川賞が創設されたのは1935年(昭和10年)のことです。

記念すべき第1回の候補に挙がったのが、文壇にデビューしたばかりの太宰治です。

華々しいデビュー秘話かと思いきや、落選した太宰が取ったその後の行動は、「事件」として今尚、語り継がれております。

事の発端は、選考委員であった川端康成が、「太宰には私生活に問題あり…」という内容のコメントを発表したことにあります。

当時、薬物中毒を患っていた太宰は、作品ではなく私生活の良し悪しで落選したと思い込み、雑誌に川端康成宛の手紙を掲載したのでした。そこには「刺す」という一言が…。

その後も芥川賞に対する太宰の執念が消えることはなく、第3回の選考の直前には、自分を選んで欲しいという内容の手紙を川端康成に送るなど、何が何でも芥川賞を受賞したかったようです。

時は巡り、現在では二人とも日本の文学史を代表する文豪となられましたね。

 

町立図書館には、文豪にまつわる本も色々とそろっていますよ。

『文豪はみんな、うつ』 岩波明 著  幻冬舎 (9102イ)

『芥川賞の謎を解く』 鵜飼哲夫 著 文藝春秋 (9102ウ)

『日記で読む文豪の部屋』 柏木博 著  白水社 (9102カ)

人物像を知った後に作品を読むと、また違った印象を受けるかもしれませんね ♪

 

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